日本科学振興協会 年次大会2023

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科学コミュニケーションの罠と対策

研究者の皆さまへ

「会いに行ける科学者フェス」のプログラム委員会・委員長の宮川です。前回のブログでは、普段、地道な研究を行う研究者が、このようなイベントで科学コミュニケーションを行うメリットについて私見を述べてみましたが、ここでは、その裏側で待ち受ける“罠”と、それを乗り越えるための対策について考えてみたいと思います。

専門家ではなく、その分野について、あるいは科学全般にすら詳しいとはいえない一般の方々や基本的な科学知識を学んでいらっしゃらない方々に、自分たちの行っている高度に専門的な研究について、限られた時間のなかで、その内容や意義について一定のご理解をしていただくことを目的に行うわけです。そのためには、1) 大きな文脈の中での意義を説明する、ということに加え、2) 複雑で長い話を単純化し短く説明する、3) 専門用語はできるだけ使わず平易な言葉でできるだけ説明する、などの工夫が重要となってきます。科学コミュニケーションの一つのあり方として実績を上げているTED Talksや、「会いに行ける科学者フェス」の企画でも採用されている数分間の短いプレゼンテーションによるピッチコンテストなどでは、そのような工夫が凝らされていますね。

しかしながら、そのような工夫には無理が生じやすいということを認識しておく必要もあります。これらの工夫は、「両刃の刃」でありまして、それぞれ、1’) 論理が飛躍しすぎたり、過度の期待を生んでしまう、2’) 過度の単純化により実態とかけ離れてしまう、3’) 専門用語と日常語の相違により誤解が生じてしまう、というような危険性をはらんでいます。さらに言えば、世の中には、意図的に過度の期待を煽って不適切に自己の利益を追求するような人々も存在しないわけではないですね。

健全な科学マインドを持っている人は、こういったリスク、罠をよく知っていますので、中には、「じゃあ、そんなリスクを有する科学コミュニケーションなどそもそも行わなければよい」、あるいは、「行うべきでない」とすら考える方々が出てくるのも当然と言えます。というより、むしろ、過去の日本、ごく最近までの日本では、「アカデミア」の世界ではそのような姿勢をとるのがマジョリティであり、私のような昭和からの過渡期の世代では、そんなものは行う必要もないし行うべきでない、という倫理観を教育されてきた方も多いのではないでしょうか。

でも、そういった考え方・倫理観は、同時に別の大きなリスクを有していると考えられます。専門的な研究とその成果が専門家の間だけで共有され、それが分野外の研究者や一般市民から見えないような状況では、両者の分断は深まります。何かに詳しい専門家が、詳しくない非専門家や一般市民に対して、「上から目線」で素人にわかるわけないというような態度をとったりすることがもしあれば、分断の壁はなお高くなるでしょう。何かの機会に、後者が特定の分野の研究に興味をもつような場合でも、専門的研究やその知識へ至るルートが見えない壁でブロックされていて、近づきにくいということであれば、その成果が社会の中で新しい価値を生むという可能性も減るだろうし、そういう可能性が減ってしまっては、社会から研究そのものの価値も理解されにくくなってしまうでしょう。ネットであらゆる知識にアクセスすることが容易になったとはいえ、科学を行うのは人であり、その成果を享受するのも人です。ネットで開かれているはずの貴重な知識もそのままではアクセスは困難であり、そのアクセスを可能にするきっかけはやはり人であることも多いはず。

研究の価値や、それを行っている科学者が、社会から十分に見えておらず理解されていなければ、卑近な話、予算もつきにくくなり、待遇もわるくなっていく。これはある種の必然ではないでしょうか。「研究者関係者は研究だけしていればよい」という考え方のリスクが顕在化してしまったことが、日本の科学の低迷を加速させてしまった遠因になっているのではないか、というのが私の個人的な仮説です。

では、どうするのが良いだろうか、ということになりますが、できるだけわかりやすい科学コミュニケーションを行う一方で、裏側で待ち受ける“罠”に対しても明示的に意識し、それを回避するための工夫も行うのがよいのではないか、というのが私の提案です。

そのような工夫はいろいろあると思いますが、有用であろうと思うことについて、以前、私が日本神経科学学会の科学コミュニケーション委員会の委員長をしていたときに策定にかかわった「科学コミュニケーション・ガイドライン – 研究成果のプレスリリース –」から抜粋しつつ、少し紹介させていただきます。

このガイドラインは、研究成果が論文となって発表される際にプレスリリースを行う場合のものですが、わかりやすい資料を作成する上でプラスになりそうなことに加え、「罠」への対応策も何点か記されています。これらの策は、プレスリリース時に限らず、限られた時間でわかりやすく研究を紹介する一般市民向けのポスター発表や口頭での短いプレゼンについても当てはまると思われますので、ぜひご参考にしていただければと思います。

以下、そのガイドラインからの抜粋です。

文献の明示: [前略]資料には、当該の発表の論文の出典と、発信する情報が依拠する先行研究などについての文献を引用することが重要である。引用する文献はできるだけ査読のある原著論文、原著論文が十分に引用されている総説・書籍などが望ましい。

著しい飛躍や”spin”の回避: 当該の研究成果とその一般的重要性に関する考察において著しい飛躍がないかどうか、について十分に留意するべきである。研究成果の中で好ましい効果について意識的・無意識的かを問わず過度に強調してプレスリリースを行うことは”spin”と呼ばれ、査読を経た論文の中で主張されていることとリリースでの主張が大きく乖離する行為が頻繁に生じていることが指摘されているが(Yavchitz et al., 2012)、このような行為はさけられなければいけない。得られた結果から主張できることと、そこから導かれる推測や期待は峻別されるべきで、そこが一般の方々に伝わるようなかたちで記載されることが重要である。また、誇張を含んだ報道や、不正確な報道が仮に為された場合、想定されうるネガティブな効果 (特定の薬品を不適切に入手・摂取する、患者に過剰な期待を抱かせる、など)について、明示的に記載しておくことも推奨される。

今後の課題・留保の記述:一つの研究が完全であることはほとんどなく、何らかの課題・限界を有することが普通であり、それらについて言及することが大切である。また、大きな飛躍を伴う考察については、それが実現するために必要なことなどの留保の記述も必ず記載するべきで ある。その飛躍が達成されたり、より確かな事実として実証されるために必要だと思われる条件も併記することが望ましい。

用語解説:一般の方々になじみ薄い用語、もしくは一般と用法が異なる用語については、できるだけ解説をつけることが望ましい。

因果関係か相関関係か: 当該の研究成果が、実験的研究によって因果関係の推定までできているものか、観察的研究による相関関係に過ぎないのか、一般の方々にも理解できるような記述がなされる必要がある。

利益相反: 利益相反情報、その他、当該研究に関連すると考えられる利益相反情報について記載する。

で、ここまで、ご覧いただいて、

「いやいや、短いプレゼンやポスターでそこまで盛り込むのはムリ!」

と思われた方々も多いのではないでしょうか。

ここが工夫のしどころで、短いプレゼンやポスターと、細かい方法や結果の解釈、その意義と限界が堅く漏れなく記載されている(はずの)原著論文を繋ぐ素材を準備して提供しておく、というのがポイントかと思っています。

今回の「会いに行ける科学者フェス」では、ポスターやプレゼンで興味をもってもらった来場者の方々が、その詳細をもっと知りたい、と思われた場合には、ONLINE CONFというシステムで、ポスターそのものや参考資料、プレゼン動画などにアクセスすることが可能となっています。

ポスターやピッチコンテストで、その研究に興味を持った方々、あるいは、その研究と主張に疑問や疑念を持たれた方々は、より詳しい情報を求める場合があります。昨今は、このようなイベントで知ったことについて、𝕏(旧ツイッター)やFacebookなどのSNSなどで紹介することもあるでしょう。そのような場合には、より詳細な情報や原著論文をはじめとする情報ソースも示していただくのが望ましいと考えられます。その情報ソースを引用する慣習は日本の一般市民の皆さんの間で普及しているとは言い難いのですが、今後、そのような慣習を普及させることが、日本の科学リテラシーを高めるために重要なことの一つではないかと思っています。原著論文の多くはオープンアクセス化し、AIの活用で英語が容易に和訳できるようになった現在、情報ソース引用の慣習を広めるのはまさに今なのではないでしょうか。

ただ、仮にそのような慣習が普及した場合でも、科学に詳しくない一般市民の皆さんが情報ソースにアクセスすることはそれほど多くはならないことが予想されます。そこを考慮すると、やはり、科学に詳しい方々、科学者の方々が、「この主張、本当?」と疑問・疑念をもったときに、その内容や妥当性を吟味しSNSなどで発信できることが大事です。科学に詳しくない一般市民の皆さんと情報発信をする科学者の間を仲介する広い意味での科学関係者が、適宜、「盛りすぎ」の主張にツッコミを入れ、過度の期待や不適切な解釈などの訂正を促したりすることができるような状況ができることが好ましいわけですね。批判的精神は科学の本質の一つですが、わかりやすさのための単純化を行う科学コミュニケーションにおいてはなおさらこれは重要なはず。第三者からの批判が適切に行われるためにも、研究内容の詳細や、情報ソースへの道筋が示されていることが大切でしょう。

というわけで、「会いに行ける科学者フェス」でポスター/展示発表をされる研究者の皆さまには、発表のご登録に使っていただいたシステムであるONLINE CONF*にそのような資料(発表に使うポスターに詳細情報を追加したようなもの)をアップロードしていただくことを推奨しています。資料としては、各発表につき、PDFファイルを一つ、動画を一つ、掲載することが可能です。

PDFファイルについては、

・アップロードできるのは1ファイルのみ。

・1ファイル内のページ数に上限はない。

・5MB以内。

となっています。

また、動画は、MP4形式、500MB以下でお願いします。登録方法の詳細については、こちらのマニュアル(ONLINE CONF 手順書)を参照ください。

ONLINE CONFは「会いに行ける科学者フェス」で使用しているシステムですが、科学関係者の皆さまにおかれましては、どのような場であっても、科学コミュニケーションを行う際は、情報ソースをどこかに明示する(例えば、QRコードで原著論文を始めとする文献などを示した詳細のウェブページにとぶようにしておくとか)、ということはできるだけ行うようにしていただけますとありがたいと思います。

以上、科学コミュニケーションの罠と対策について私見を述べさせていただきました。研究者の皆さまには、そのような罠に陥ってしまいように注意をしながら、ぜひ、わかりやすくインパクトのある科学コミュニケーションをぜひ積極的に行っていただき、皆さまの熱い想いを社会に伝えていただければと思います。

*注: 本イベントでは、学会運営システムのONLINE CONFを、スポンサーの(株)AGRI SMILE様よりご提供いただいています。

(2023.9.12)

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